葬列

人生の簡単なまとめ

殺したいほど憎いひとがいること


もう漠然としたことしか覚えていない。写真を見てもまともに記憶が蘇ってこない。先輩があのときどんな顔をしていただとか、自分がどんな気持ちで会場入りしたとかなにも覚えていなかった。それについて考えると優しい思い出が蘇る前に決まって脳みそがドロドロになって鈍痛がする。残ったのは多分これしかなくて、愛した日々の話は深いところに眠りに就いた。


精算の意を込めていままで行った現場についてまとめていた。それだけの行為になんの問題があったのかというと、簡潔に言えば忘れていたのだ。私はたまに、パニックになるのを承知でまふまふの曲を聴く。ジャニーズの曲なんかよりよっぽど身に染みついた曲だ。


今日はずっと、私は人からどんな評価をされているのか考えていた。死んだ心で誰かを心の底から愛していた。異常だったと思う。誰でもよかった。その人がまふまふに紐付けられるような行動をするたびに嫌いになって、やっぱり好きになって、頭がぐちゃぐちゃだった。私がまふまふのことを嫌っている間に彼は尋常じゃないスピードで成長していた。その過程をまだ見ていたかったけど、早く忘れたかった。忘れたいと思うたびに過ぎた日々がフラッシュバックして、自分はヤク中みたいだった。

誰にも伝わらないと思うけど、ずっとまふまふのことばかりが頭の中をぐるぐると巡って鈍痛がする。目が熱くなってもっと頭が痛くなる。絶対に泣けない。熱に浮かされた頭でまだずっとまふまふのことを考え続けてただ愛していたはずの日々に想いを馳せる。


ただ死にたいだけの病人ではない。理由もなく途方に暮れて漠然と死にたいと思っていた頃の方がまだ楽しかった。原因がわかっていることについてただずっと、悩むというにも形容しがたい思考を繰り返して虚無に送り込まれたような気持ちだ。死にたいという思考に囚われたただの若者ならよかったのにな、明確なひとつの方法に救われただろうに。


私は悪くない。勝手に死んだ先輩が悪いとも思わない。私はまふまふをどうしても悪者にしたい。そうしないと報われない。死ね死にたいと歌っておいていざ死んだら生きろってなんだよ。まふまふだって私みたいなやつに追い込まれて死んでしまえばいい。そうしてみんな私みたいに薄っぺらい愛情の下でせいぜい苦しめばいいんだ。どうせ3ヶ月も経てば新しい好きな人ができる。死んだ人のことなんて忘れて。


こんなことをしたって先輩が報われないことくらいわかっている。どれだけ人を憎んで呪ってもそいつの心臓が止まらない限り死なないし、まふまふが倒れて何年かぶりに泣いたほど動揺して調子が狂った私は、まふまふの心臓を止めることはできない。自分でさっさと死ぬことができればよかった。どうせ人殺しにはなれない。


こういう種類の愚かな人間がいることを知ってほしい。お前がのうのうと生きている反対側で、好きで憎んでいるわけじゃない人がいることとか、お前のことを思ったまま死んだ人がいることとか。