葬列

人生の簡単なまとめ

何んでもない

つい昨日まで、自分の輪郭がわからなくなるくらいバッドに入っていた。長すぎるほどの鬱で、自分でもちょっと笑えるほどに落ちていた。特にここ2週間は酷かった。今まで涙を流してこなかった代わりと言わんばかりに嘘みたいに涙を流して、学校にもまともに通えなかった。


私の気が落ち込む理由も、私が気を取り戻す理由も、全てがまふまふに依存しているとまた実感させられた。

今の推しはエスパーじゃないかと思うほど的確なタイミングでメンタルケアをしてくれる。私は確かにあの子に救われているはずなのに、結局私が正気を取り戻せたのはまふまふの歌だった。

まふまふの声を聞くだけで嘘みたいに心が落ち着く。平生ではいまのまふまふの声など聞きたくもないのに。聞いただけで脳に直接薬をぶち込まれたみたいに私は冷静になっていた。この4年で何度も再確認させられたあんまりにもひどい事実。まふまふだけを恨んで、まふまふだけに救われるとはなんという道化だろう。きっとこれから先も変わらないのだろうと思うとうんざりする。心が消耗されるこの無駄とも言えるループ。4年間変わらなかったのだから、これから先も変われるわけがない。自然に発生してしまった自然な感情であるからどうにも自分の意思では変えられないのだ。これからも無意識下で救われてしまうのだろうか。


たまにきっかけなんてどうでもよくて、私はただ誰かのことを呪いたいだけなんじゃないか思ってしまう。何年も、見返りも求めずに愛していた人のことをただ恨んで呪い続けるなんて私もしたくない。しかしこんなに生産性のない行為を性懲りも無く繰り返すのは、ただ私が嫌な人間になってしまって、ただ誰かを呪う免罪符に人の死を使っているのかもしれないのかと考えてしまう。


新しい推しはどこかまふまふに似ている。今までは徹底的にまふまふを避けていたけれど、私もいい加減に学んでしまった。推し越しに好きだった頃のまふまふを見ている。比べてしまう。代わりにしてごめんね。私のことなんか視界の端にも入れてくれないその冷たさが心地よい。自分を守るための語気の強さが、ほんの少しだけ私にも似ている。あの子の振る舞いを見ていると、もっと上手く生きられるのに、と思う。私も周りからそう思われているのだろうか。


まふまふや過去に立ち会った死に固執して、ここまでの虚無になんの価値があるのか。いつか今日のことを振り返って、そんなこともあったなと笑う日のことを夢想している。笑えない話だから、きっと来ない。

止めてしまった心音を確かめるようにまだ今日も生きている。